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今回は有名な「吉田松陰」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「吉田松陰」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
吉田松陰とは
文政13年(1830年)8月4日(西曆9月20日)、長州萩城下松本村(現・山口県萩市)で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。
安政6年(1859年)、梅田雲浜が幕府に捕縛されると、雲浜が萩に滞在した際に面会していることと、伏見要駕策を立案した大高又次郎と平島武次郎が雲浜の門下生であった関係で、安政の大獄に連座し、江戸に檻送されて伝馬町牢屋敷に投獄された。評定所で幕府が松陰に問いただしたのは、雲浜が萩に滞在した際の会話内容などの確認であったが、松陰は老中暗殺計画である間部要撃策を自ら進んで告白してしまう。この結果、松陰に死罪が宣告され、安政6年10月27日(グレゴリオ暦1859年11月21日)、伝馬町牢屋敷にて執行された。享年30(満29歳没)。
日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。
参考:Wikipedia
吉田松陰の名言集
成長したい時に見る名言20選
大器をつくるには、いそぐべからずこと。
平凡で実直な人間などいくらでもいる。しかし、事に臨んで大事を断ずる人物は容易に求めがたい。
人のわずかな欠陥をあげつらうようでは、大才の士は、もとめることが出来ない。
学問の上で大いに忌むべきは、したり止めたりである。したり止めたりであれば、ついに成就することはない。
今日の読書こそ、真の学問である。
過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ。
どんな人間でも一つや二つは素晴らしい能力を持っているのである。その素晴らしいところを大切に育てていけば、一人前の人間になる。
これこそが人を大切にするうえで最も大事なことだ。
死んだ後の業苦を思い煩うな
順境は怠けやすく、逆境は励みやすい 境の順なる者は怠り易く、境の逆なる者は励み易し。
決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。
大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。
古より議論は易(やす)くして事業は難(かた)し
満開となれば、やがて花は落ちる。太陽は南中すれば、やがて陰りはじめる。人は壮年を迎えれば、やがて老いていく。
百年の間、必死で勉強すべきであり、ゆったりとくつろぐ暇などない。
天下の英才を育するは必ず鯫生より起る
志を立てることを全ての始まりとして、交流する相手を選び正しく立派な行為を学ぶ。
そして、書を読み偉人の教えを学ぶ。これらが出来た後、立派な人となるのだ
剛直でくじけず、自分を信じてくれた人に背かなければ、不幸にも、うまくいかなかったとしても、
自分を信じてくれる者はますます多くなり、再び立ち上がった時には、思いをなし遂げることが必ずできる
自分の価値観で人を責めない。一つの失敗で全て否定しない。長所を見て短所を見ない。
心を見て結果を見ない。そうすれば人は必ず集まってくる。
たくさんの本を読むことで、名を残す立派な人となるのである。苦労を厭わずに努めることで天下国家の人々を幸せにできるのだ。
志を立てて始めたことは、全身全霊を尽くして行い、やめるのは死んだ後だけである
道を志した者が不幸や罪になることを恐れ、将来につけを残すようなことを黙ってただ受け入れるなどは、
君子の学問を学ぶ者がすることではない。
天下のことをなすは、天下有志の士と志を通ずるにあらざれば得ず。
学問ばかりやっているのは、腐れ儒者であり、もしくは専門馬鹿、または役立たずの物知りに過ぎず、
おのれを天下に役立てようとする者は、よろしく風の荒い世間に出て、なまの現実を見なければならない。
やる気の出ない時に見る名言20選
夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。
一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。
何事においても出来ないということはない。それは行動していないだけだ
大事なことを任された者は、才能を頼みとするようでは駄目である。知識を頼みとするようでも駄目である。
必ず志を立てて、やる気を出し努力することによって上手くいくのである。
思想を維持する精神は、狂気でなければならない。
奪うことができないものは志である。滅びないのはその働きである
賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。
武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。
君たち、狂いたまえ
学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。
何もせずに機会を失ってしまうのは、人の罪である。
志を立ててもって万事の源となす。
才能を伸ばし、人としての徳を身につけることは、辛く、苦しいことだ
目前の安泰は一時しのぎと知れ。百年の時は一瞬にすぎない。君たちは、どうかいたずらに時を過ごすことのないように
政治を行う上で重要なことは、人々を鼓舞してやる気にさせ、自分から進んで努力しようという気持ちを持たせることだ。
得ることが難しく、失いやすいのは時間である。
学問をする眼目は、自己を磨き自己を確立することにある。
積徳積善(せきとくせきぜん)でなくては大事は出来ず。
恥を知らないということほど恥ずかしいことはない。
国家とともにという志がないならば、人ではないのである
宜しく先ず一事より一日より始むべし
人生に不安のある時に見る名言20選
人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない。
一つ善いことをすれば、その善は自分のものとなる。一つ有益なものを得れば、それは自分のものとなる。
一日努力すれば、一日の効果が得られる。一年努力すれば、一年の効果がある。
読書というものは、最もよく人の心を変えるものである。書というものは、何と恐るべきものだろうか。
私心さえ除き去るなら、進むもよし退くもよし、出るもよし出ざるもよし。
至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり。
教えるの語源は「愛しむ」。誰にも得手不手がある、絶対に人を見捨てるようなことをしてはいけない。
17、18の死が惜しければ、30の死も惜しい。80、90、100になってもこれで足りたということはない。
半年と云う虫たちの命が短いとは思わないし、松や柏のように数百年の命が長いとも思わない。
天地の悠久に比べれば、松柏も一時蠅(ハエのような存在)なり。
君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。
小人は何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。
今の世の中、優れた人物がいないと人は言うが、上の者が優れている人物を好むということさえすれば、
人物がいないことを心配する必要はない。
人間には精気というものがあり、人それぞれに精気の量は決まっている。この精気なるものは抑制すべきである。
抑制すればやがて溢出する力が大きく、ついに人間、狂にいたる。
しかし、おのれの欲望を解放することによって、固有の気が衰え、ついに惰になり、物事を常識で考える人間になってしまう。
世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。
心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。
士たるものの貴ぶところは徳であって才ではなく行動であって学識ではない
利をうとんずるといふ事は、必ずしも富を厭ひ貧を欲するといふ事ではない。貧富によりて少しも心をみださないといふことである。
法律をやぶったことについてのつぐないは、死罪になるにせよ、罪に服することによってできるが、
もし人間道徳の根本義をやぶれば、誰に向かってつぐないえるか、つぐないようがないではありませぬか。
賢者は議論よりも行動を重んじる
親思う心にまさる親心。
人と交際する際には、あるがままの心で接することが大切である。
今日死を決する安心は、四時の順環において得るところあり
かくすれば かくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂
いたずらに身を衛(まも)ることを知る者、いずくんぞよく国(やす)を安んぜんや
自信がなくなった時に見る名言20選
敵が弱いように、敵が衰えるようにと思うのは、皆、愚痴もはなはだしい。
自分に勢いがあれば、どうして敵の勢いを恐れようか。自分が強ければ、どうして敵の強さを恐れようか。
みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず。
小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。
死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。
武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。心懐爽快ならば人間やつれることはない。
人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。
わたくしは、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う。
志定まれば、気盛んなり。
人を観察するのは、目によってする。胸の中が正しいか、正しくないかは、瞳が明るいか、暗いかによって分かる。
悔いるよりも今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない
英雄はその目的が達成されないときには悪党や盗人とみなされるものだ。
世の中の人から馬鹿にされ、虐げられたときにこそ、真の英雄かどうかがわかる
だいたいにおいて世間の毀誉(悪口と称賛)というものは、あてにならぬものである。
死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。
志をもっている人間は、何かを目にしたら、必ず心中に感じるものがある
末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から極端だといわれるであろう。
もしまた、世人から極端だといわれるくらいでなければ、決して道義ではないのであって、
すなわち世俗に同調し濁った世に迎合したものにすぎない
汝は汝たり、我は我たり。
成功するせぬは、もとより問うところではない。それによって世から謗されようと褒められようと、自分に関することではない。
自分は志を持つ。志士の尊ぶところは何であろう。心を高く清らかにそびえさせて、自ら成すことではないか。
私のことを知るということは、私の志を知り、それに帆を張り大きくすすめていくということだ。
人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである。
死して後に止むという言葉は、意思が強く忍耐強く、決断力があり、断固としてその志を変えないという意味である
志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない、世俗の意見に惑わされてもいけない
生を捨ててみれば、視界は雲なく露なくきわめて澄みわたり、世の現象がいかにもクッキリとみえ、
自分が何をすべきかの道も、白道一筋、坦々として眼前にあります。
味方の協和が得られて、初めて地形の有利さも自然の条件も役に立つのである。
それ故に国家の務めを論ずる場合には、まず味方の協和の問題を取り上げねばならない。
イライラした時に見る名言20選
人の話を徒らかに聞かぬ事と、聞いた事見た事、 皆書き留め置く事、肝要な心得なり。
学問とは自分の才能を見せびらかせて、人を従わせるためにするのではない。人を教育して一緒に正しく生きようとすることである
倹約は義であり、公のためにするものだ。衣食財物を倹約して貯蓄し、仲間の困難を救うために使い、貧しい人に施すために使うものだ。
ケチは利益を考えることであり私事である。
人に与える衣食財物を惜しみ、欲深く人から奪い、使い果たすか、貯め込んだまま死ぬかのどちらかである
自分を正してから教えるならば、人はみんな従う
同じではない人を同じにしようなどとせず、いわゆる、その人の優れた才能を育てることに努めるべきである
身体が死滅しても、その精神が死んでいないものは、昔の聖人や賢者らであり、これらは永遠に朽ちることのない人である。
身体は死滅していないが、精神が死んでいるのは、今のくだらない人間の類であり、生きながら死んでいる人である
何事であっても、人に対する思いやりや慈しみの心を動機としないのであれば、どうしてなし遂げることができようか
世の中のことは、何であっても、全て自分の望み通りになるということは大変難しい
私は人を信じて失敗することがあっても、人を疑って失敗することは絶対無いようにしたい
大義のために人と絶交することになったとしても、その人の悪口を言うのは忍びないことである。
やむを得ず国を去る事になったとしても自分は潔白だったというのは忍びないことである
聖人の胸中は常に多事(多忙)にして楽しむ。愚人の胸中は常に無事(暇)にして楽しまず
人の心は上の命令に従わず、上の好みに従うものである。今上の地位にある者はこの事をよく考え、安易な方へ流れる欲を絶ち、
戦場に身を置いているような気持ちで自ら実践するならば、命令をしなくても自ら従う
我は我が志を行わんのみ
勉強しない人の気持ちには3つある。ひとつ目は、「年をとりました」と。ふたつ目は、「馬鹿ですから」と。
そうでなければ、「私は才能が高く、もう学問は極めました」と。
俗人が見るのは形である。君子が見るのは心である。
心ある立派な人の務めは、自分の身を修め、まごころを尽くすことにある。
大将は心が定まっていなければならない。
もし大将の心が定まっておらず、ふらふらしている時には、その下にいくら能力がある者がいようとも実際に力を発揮することはできない。
名誉や批判などは全て天命である。私の問題ではない。
つまらぬ名言を費すよりも、至誠を積み蓄えなさい。
あまり怒りよると、とうとう腹もなんにも立たぬようになる。
まとめ
今回は「吉田松陰」の名言・名セリフ集をご紹介しました。
お気に入りの名言や心に響く名言は見る人によって変わります。
「吉田松陰」の名言には、今回ご紹介していないものの中にも、まだまだ名言と呼ばれるものが数多く存在するでしょう。
ぜひ自分のお気に入りの名言を見つけてみてください